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毎日が辛い?

仕事行きたくない。

あいつと会いたくない。

今月もお金が苦しい。

毎日が辛い。

辛いですよね。

僕も辛いです。

まぁー色々とうまいこといきません。

昨日も道端でうっかり犬のウンコ踏みました。

靴メーカーの方が良かれと思って施された靴底の滑り止めのための割れ目構造ゆえに、しっかりとウンコを捉えて離しません。

めっちゃ辛いです。

けどね、辛くて当たり前だと思うんですよ。

よく考えてみて下さい。

人間以外の野生の動物は毎日が生きるか死ぬかですよ。

食べるものゲットできなかったら死ぬんですから。

ペットは別ですよ。毎日自動でペディグリーチャム出てきますから。

けどこの世のほとんどの動物、いや動物以外の虫とかも、毎日が生きるか死ぬかの世界で生きてます。

ヒトだって狩猟採集時代はそうだったはずです。

その日獲物が獲れなかったら一気に死ぬ確率が上がったはずです。

でもそこから農耕が始まり備蓄ができるようになり定住生活ができるようになりました。

食料の保存技術が向上し、農耕技術や畜産技術が向上したことで、定期的に、計画的に食肉にもありつけるようになりました。

毎日が生きるか死ぬかという状態から脱してきたんです。

やったぜ!毎日獲物のこと考えなくていいぜ!きゃっほーい!

となりそうですが、この世界はそんなに甘くないんですよね。

定住生活が可能になったとはいえ、

その土地の資源は限られているんですよ。

土地に流れる水、そこに生息する食糧としての生き物、天然資源、そもそも土地そのもの。

全て有限です。

そしたらどうなるか。

ちょっと前までは野生の動物させてもろてた、人権もコンプラも糞もないニンゲン様はどうするか。

奪い合いですよね。

はい戦争の始まりです。

大量に人が死にました。

そこから時の治世者がなんとか争いを治めるために色々やりますが、なんやかんやで長くは続きません。

それはもう世界史Aや日本史Bを見て頂いたら明らかですよね。

つまりですよ。

結局、根本は変わってないんですよ。

食糧での生き死にの問題はなくなったけど、社会的に生きることになった人間は、社会的に生き残る、関係性の中で生き残る必要がでてきたのです。

関係性、、、

社会と自分の関係性

あの人と自分の関係性

アドラーは言いました。

この世の全ての悩みは人間関係であると。

つまり社会的関係性の中でサバイブすることが余儀なくされている。

つまり結局は毎日がサバイバル。

つまり結局は毎日が大変。

そしてそれは、狩猟採集時代より変わらない。

ただその舞台が変わっただけ。

つまり、毎日が辛いのは、、、

当たり前

なのです。

というわけで今日も仕事で嫌なことがあったのでフテ寝します。

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